Rubyが好きなプログラマーの日記。日々の生活、開発に関するメモとか考えとか。
でLTを募集していたので応募したのだが、運悪く当日に台風ということで泣く泣くキャンセルした。 資料だけが残ってしまったので、こちらで公開します。
そのまんまですが、rakuten_web_service
の使い方を紹介してます。
複数のAPIをメソッドチェーンでサクッと呼べたりと、API間をスムーズにまたいでいけるようなクライアントというのがコンセプトです。
楽天市場の商品や本やCDなどの情報、レシピにゴルフ場の情報と色々取得できるので、ぜひご活用ください。
秋に入りつつあり、涼しさが期待できるこの頃。 たまには何かポエムのような、なんとなしに思っていることを書いてみる。
見えていたり見えてなかったり、大きかったり小さかったり様々だ。 気づいている人もいれば気づいていない人もいる。 当事者だと気づいていない人もいる。 そして、問題に対する向き合い方も様々だ。 小さいものでもすぐに解決してしまいたい人、大きなものにしか興味が無い人、すぐに他人に任せてしまう人など様々に問題に対して向き合う。
人によっては安心とも言えるし、不安を解消しているとも言える。問題を解決することで、いずれにせよ、良い方向に向かう。 大きな問題を抱えていると、それを解決した時に、身が軽くなったような錯覚に陥ることがある。今までの鬱屈で不快で重く辛い思いをしていたのが嘘のように消えてなくなり、清々しい気持ちになる。解決した人だけでなく、もちろん当事者も同じような気持ちになる。 問題の大きさが大きいほど、解決した時の清々しさもより気持ちの良いものになる。 問題を解決することは良いことだ。それは間違いない。
しかし、問題とはやっかいな奴である。
はじめは小さくとも、何も手を付けなければ問題は時間とともに大きくなる。 いずれ手に負えなくなる。 問題は見えない。 見えるようになった時には、避けることができないくらい迫ってきてしまったのか、それとも大きくなってしまったのか。目に見えてしまう、ということは、何かしら無視できない被害がありえるということだ。
最も簡単なのは、問題を問題と思わないことだ。 しかし、それをやる人は幸いなことに少ない。 問題を解決する、問題を小さくする、問題をこれ以上大きくならないように止める、そもそも問題から目を逸らす、といった順にかかる時間や難しさが小さくなっていく。 解決することができない時、小さくしたり、大きくならないように止める必要がある。
解決すれば、もうその問題について考えなくて良い。 しかし、小さくしたり、大きくならないように止める場合は、それを続けなければいけない。 問題を小さくしても、それを続けなければ、やはり時間とともに大きくなるので、いずれまた避けられない大きさになる。 大きくならないように止め続けられないのであれば、止める力を失った時にまた大変なことになる。
直前にするまで、目に見えないことがしばしばある。 それが害を生むことがある。 時折、問題は実在しないのに、問題があるかのように思いこんだり、問題があると聞いたのでそのまま信用してしまう人がいる。 実在しないのに大きな問題を見えていると思い込んでしまうと、その問題を解決したくなる。 実在しあに問題に取り組んでいる間に、見えていないけれど実在する問題は大きくなっていく。
問題は大きくなるほど、解決が難しくなる。 単に解決するのに必要な時間が長くなるのではなく、小さかった時とは全くことなるアプローチが必要となる場合もある。 複雑になり、被害も大きくなる。
大きな問題は、誰にとっても目立つし、誰にとってもわかりやすいので良いことかもしれない。 解決した時のありがたみもわかりやすい。誰からも感謝され、賞賛されるだろう。 小さい問題はきづかれず、ひっそりとしている。解決しても、関心が無いので、誰からも褒められず、気づかれることすらないかもしれない。
大きな問題を解決すれば、それまでの鬱屈として空気を晴れやかにし、周りから賞賛される。誰からの注目を浴びることもできる。 このことに気づいてしまうとどうなるだろうか。 問題が時間とともに大きくなることを利用し、あえて問題を放置し、大きくしてから解決に取り組む人が現れるかもしれない。 または、大きいと目立つことができるので、問題をより大きなものとして周囲に言って周るのかもしれない。
その一方で、問題が大きくなり複雑で解決しづらく、小さくするにも大きくなるのを止めるにもコストがかかる前に、小さいうちに問題を解決する人がいるのかもしれない。 そういった小さい問題の解決は目立たず、その被害すら発生していないので、解決しているのに褒められることが少ないだろう。 それでも、人知れず、小さい問題を解決していくヒーローこそが高い評価を受けて当然であろう。