Rubyが好きなプログラマーの日記。日々の生活、開発に関するメモとか考えとか。
まだ10日は残っているのだけれど、気づけば異動してから1年を過ぎていた。 今朝、ふとしたことに周りの仲間から、この1年で変わったことを外に出してみたらいいよ、と薦められたので、まとまるかわからないけど書いてみようと思った。
異動することを決めたのは昨年の秋の始め頃だったと思う。 さらにその前、昨年6月頃にほぼ1人で仕事する環境になった。それまで3年ほど面倒見ていた社内向けサービスを取り上げられた。次にやることは何も決まってないまま、ただ決定だけが上から言われた。行き先は、いくつか候補を提示されて、その中で一番マシに思えたところを選らんだ。行った先も社内向けサービスを開発運用しているところで、その当時にとっくにサポートが終了しているバージョンのRubyで動いているサービスを担当することになった。サービスを運用しているのは別のチームで、開発チームはその運用チームから言われたことをやるというミッションで、いわば社内受託のような構造だった。開発チームの他のメンバーはRubyについては全く経験が無いということで、自分がそのレガシーサービスの面倒を見ることになった。彼らからしたらとてもありがたいことだったのだろう。 彼らは元々そのレガシーなサービスを別のものにリプレイスすることを進めていた。けれど、リプレイスの対象となるサービスを扱えない、という状態だったらしいので、どのように置き換えるかやデータがどのようになっているかを知る術がなかったそうだ。今でも僕は理解できないのだが、「Rubyの経験が無い」という理由でまったく何も手を付けていなかったのだ。 また、リプレイスについてもどのように進めるのか、何に置き換えるのか、スクラッチから書くのかなど、曖昧なままで何も進んでいない状態だった。そこで、何が課題で、目指したいゴールが何なのかや、今やっていることとか今の課題とかを、ステークホルダーを交えて洗い出して、優先順位を決めたり、週次のミーティングの進行をやったりと、色々口出しした。 ただ、元々やってきたRubyと、ちょっとタスクやゴールを見える化しただけなのに、すごく感謝されたことに驚いた。正直「ちょろいな」って思ってしまった。 特に何も学ばなくても、余裕で仕事ができて、それが高評価だなんて、どんだけ楽なんだろうって思った。
そんな時に急に不安になることがあった。その時期に、オフィスのカフェスペースで昼過ぎにぐだぐだと仲間内で集まるのが習慣になっていた。今どんなことをやっていて、あーでもないこーでもない、とか、最近新しいサービスとかが出てきてあーだこーだと、色々話をしていた。でも、そんな会話に、特に技術の話に追いつけなくなってることに気づいた。自分が「何となく分かるけど、使えない」状態であることに気づいた。エンジニアとして生きていきたいと思った時にこれではやばい。いや、仮にエンジニアじゃないとしても、これはヤバい。と感じた。これが、異動しようと思った最初のきっかけだった。
時を同じくして、当時のさくら学院生徒会長である倉島颯良が先代の磯野莉音から送られた言葉が「自分で変わらない限り何も変わらない」だったということを知った。それまでの自分の異動を振り返ると、誘われたとか、体制の変更とか自分の意思とは違うところで決まっていた。最終決定で自分で決めるところはあったけど、どこに行くかを自分で決めたことは無かった。
行き先を社外から選ぶか、社内から選ぶかちょっと悩んだけど、社内から選んでダメなら社外を探そうと思った。社内の公募制度があるので、それが一番手っ取り早いと思ったからだ。 どう選ぶかも悩んだ。いくつか公募を眺めてみても、何をしているかどれもいまいちだった。これまで「Rubyができるから」という理由で移ってきたところがあったし、それがきっかけで色々やらせてもらった。けど、それでしかきっかけが作れないとも言えるじょうたいだった。他にも色々キーワードはあるはずなのに、Rubyでしかきっかけを作れないのは、これからの進む先が細くなってしまうような気がした。だから「Ruby」は基本やらないところを選ぶことにした。 35歳だったし、定年説とかいうのも自分なりに否定したいとか思ってたので、それまでまともにやったことない言語のプログラマーとして働けるところで選ぼうと考えた。
肝心の行き先を選ぶ時も、ぐだぐだと集まる仲間が助けになった。 弊社のメールの首領である @hihihiroro は色々な部署と関係しているので公募にない情報を色々知っていた。 メンツには @TAKAKING22 もいて、どういった課題があって、どういう取り組みをしてるという話を普段からしていた。 偶然だけど、一番学びが多い場所だと感じた。新規サービスという全く先がどうなるかどうかもわからないところだし、使ってる言語も違うし、サービスの性質も違う。そういう点では不安だらけだけど、一番安心できたのはチームとして安心できたのは、正しい方向に向かっているチームだと思えたこと。
チームの中では一番下手くそかもしれないがそれは学べば良い。どこかに役立てるところはあるかもしれないし、それは心配してもしょうがない。あとは一緒に働いて何とかすれば良い。
それから1年が過ぎて色々やった。 キーワードだけ並べてみると、
と、色々やれて、それまでの自分の学習のスピードと比べたら高いペースだったので良かったと思う。広く浅くかもしれないが、それぞれで何か始めようとしたら、とりあえず何かしら手が動かせるようにはなったように思う。 今年のゴールデンウィークから始めたモブプログラミングも学習を加速させてくれた要因かもしれない。
新規サービスを立ち上げるにあたって、色々なお客さんのところに行かせてもらった。その時に、デモをすることで、ユーザーと直接で繋がることが大切で、一番ヒリヒリする瞬間であることを身をもって理解できたのも、この一年の収穫の1つだ。人前で話す機会として、モブプログラミングの現場見学のガイドをやるようになったのも大きな変化だった。
異動の時に選んだ目的の通り多くのことを学べた。でも、それが出来たのはチームの良さのおかげだと思ってる。正しい方向に向かおうとしている、それに対して自分が何でコミットできるかを考える。そう考えた時に、何を学ばないといけないか考える。そのために自分が挑戦したことが認めてもらえる。失敗したとしても、もちろん咎められない。学んだことをお互いに評価しあえる。きっと、これも心理的安全と呼べると思う。これほど楽しい環境は無いと思える。
いずれにせよ、技術やそれまでの経験に依存せず、チームや人で選んだことがとても良かったことだと思う。当分は無さそうだけど、次にまた道を選ぶとしたら、人とチームを重視するだろう。